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山口家庭裁判所 昭和56年(少ハ)7号 決定

少年 M・S(昭三七・一・一生)

主文

本人を昭和五七年六月三〇日まで中等少年院に継続して収容する。

理由

(申請の要旨)

本人は、昭和五五年一一月一九日当裁判所において中等少年院送致の決定を受け、同月二一日中津少年院に収容され、昭和五六年一二月三一日をもつて収容期間が満了となる。

本人は、入院以来の成績も概ね良好で、教育目標の達成についても努力が認められ、その態度も良好であるが、保護環境が劣悪で、加えて資質的にも劣り、退院後社会生活を送るうえには当分の間は適当な保護者の監護が必要であるから、保護資源の開拓及び保護観察の期間を合わせて昭和五七年六月三〇日までの収容継続の決定を求める。

(当裁判所の判断)

一件記録及び調査、審判の結果によれば、以下の事実が認められる。

(1)  少年院収容に至る経緯

本人は、昭和三七年一月一日実父S・S、実母M・R子の子(戸籍上はM・R子の非嫡出子)として出生し、間もなく実父母が相次いで行方不明となり、実父の兄S・T及びその妻S・N子に預けられ養育されることとなつたが、小学校二年生ころから放浪が始まり、同四年生ころから万引等の非行が始まり、右S・T及びS・N子がともに身体障害者であつたことなどから本人の面倒がみきれず、そのころ養護施設、次いで一年後には教護院にそれぞれ収容されることとなつた。しかしその後も度々右施設から逃亡し、一般社会での放浪生活を維持するために窃盗をするという行動の繰り返しで、当裁判所において、審判不開始決定、不処分決定(二回)を受けた後、昭和五五年一一月一九日、中等少年院送致の決定を受け、同月二一日中津少年院に収容されるに至つたものである。

(2)  収容時における本人の知能、性格特性など

本人の知的能力は、IQ五九以下の魯鈍級精神薄弱段階にあり、身長一五一・五cm、体重四二・五kg、胸囲七二・八cmで身体の発育、体格ともにやや不良で、体力も劣ることから、対人関係でいじめられたり、圧力を加えられることが多く、このため人との接触を好まず、協調性、融和性などに欠け、また、情意や社会性の発達も未熟で、原始的快感原則に支配されてその場限りの行動をとりやすく、幼稚で自己中心的な思慮判断が目立ち、社会規範などの遵法精神が乏しい。

(3)  少年院における処遇経過

本人は、昭和五五年一一月二一日入院と同時に二級下に編入され、昭和五六年五月一日二級上に、同年七月一六日一級下に、同年一一月一日一級上にそれぞれ進級し、この間同年七月一〇日器物破損により課長注意を受けたことの他問題行動は見られず、本人の入院以来の成績は概ね良好で、教育目標の達成についても努力が認められ、その態度も良好である。

(4)  退院後の受入れ体制

本人の実父は依然として行方不明で、実母は現在常習累犯窃盗の罪により受刑中でいずれも少年を受入れることは不可能であり、実父母に代わり本人を養育してきたS・T、S・N子夫婦もS・Tは昭和五〇年六月死亡し、S・N子も六級身体障害者で、これまでの本人の非行のこともあつて本人を引き取る意思はなく、また能力もない。従つて、精神薄弱者の収容施設等の福祉施設に頼らざるをえないのであるが、山口県下の同施設はすべて定員を満たす収容状態にあり、欠員は全くない。

なお中津少年院としては山口保護観察所を通じて紹介を受けた山口県下関市の通勤寮「○○園」へ本人を入園させる予定でいたところ、同園から受入れを拒否されたものである。

(5)  収容継続の必要性

前述のとおり、本人の入院以来の成績は概ね良好で、その間の本人の努力は十分に認められる。

しかしながら、本人の少年院収容に至る経緯、知能、体力、性格特性などを勘案すると今直ちに全く受入れ体制ができていない一般社会に、何等の適切な措置を講ずることなく復帰させたならば、本人が窃盗その他の非行に陥る危険性は高く、従つて、本人の犯罪的傾向はまだ矯正されていないものといわざるを得ない。

もつとも、収容継続によつて本人の知能等の資質がこれから急速に向上するものとは考えられず、結局問題は本人の退院後の受入れ体制が全く整つていないことであり、かように本人の力をもつてしてはいかんともしがたい受入れ体制の有無により、本人の収容関係を区々にすることは心苦しいが、本人の非行性を判断するには、単にその資質面だけでなく、保護環境を併わせ考慮せざるを得ないのであるから、現時点においては本人を収容継続することはやむを得ないものと思料する。

そして収容継続期間については、精神薄弱者の保護施設、保護会の施設等本人の受入れ施設を開拓するのに今暫く日時を要するものと認められ、(昭和五七年度始めにはこれら施設に多少の定員の増加がある見込み)、更に、前記本人の知能、性格特性、保護環境に本人が少年院に収容されるに至つた経緯を照らし判断すると、本人が少年院を出院して精神薄弱施設等の受入れ施設に収容された後においても、なお暫く強力な援助がなければ窃盗などの非行に陥る危険性が高く、仮退院後の保護観察による補導、援助を必要とする特別の事情があると認められるので、以上受入れ施設の開拓と仮退院後の保護観察期間を併せて昭和五七年六月三〇日まで本人を収容継続することを相当と認める。

なお、この収容継続決定は、保護資源開拓までの収容保護と出院後の保護を全うする趣旨でなしたものであるから、速かに保護資源を開拓し、仮退院の手続がなされることを希望する旨付言する。

よつて少年院法一一条四項、少年審判規則五五条により主文のとおり決定する。

(裁判官 大谷辰雄)

〔参考一〕 収容継続申請書

一 本籍 福岡県直方市大字○○××番地

二 帰住予定地 未定

三 現住所 大分県中津市大字○○××中津少年学院内

四 氏名 M・S

五 生年月日 昭和三七年一月一日

六 事件番号 昭和五五年少第一二七〇号

七 送致決定日 昭和五五年一一月一七日

八 満了日 昭和五六年一二月三一日

九 希望する収容継続期間

昭和五七年一月一日から同年六月三〇日まで(六か月間)

処遇経過

・昭和五五・一一・二一 山口少年鑑別所から入院二級下編入

・〃五五・一二・四 予科編入・文化クラブ(音楽)

・〃五六・一・二九 本科編入・窯業科、生活クラブ(こん包)特別教育E班(体力強化)

・〃五六・五・一 二級上に進級

・〃五六・七・一〇 課長注意(器物破損)

・〃五六・七・一六 一級下に進級

・〃五六・一〇・一 学科努力賞受賞

・〃五六・一〇・一二 五室々長に任命

・〃五六・一一・一 一級上に進級

収容継続申請の具体的理由

一 本少年は、窃盗保護事件により昭和五五年一一月一九日山口家庭裁判所において中等少年院送致の決定を受け、同年一一月二一日、山口少年鑑別所から送致され現在に至つている。

入院以来成績も概ね良好で、教育目標の達成についても努力が認められその態度も良好である。

二 家庭環境についてみると、幼少にして実父母と離別、特に実母は本少年出生後間もなく行方不明となり、実父は少年の養育に困り、兄夫婦に少年を預けたものの、その後暫時引取つたこともあつたが、日ならずして再度兄夫婦に養育を託して行方不明となつている。以来少年は養護施設、教護院に収容され、教護院を再三無断外出し非行を繰り返してきたものである。

現在少年の身寄としては、S・N子(義伯母・少年の父の兄嫁)だけで他に手がかりはつかめなかつた。

そこで当院ではS・N子を引受人として身上調査書を作成し、山口保護観察所に調整を依頼した。

1 昭和五六年一月八日付け、環境調整報告書では「引受人は少年の引受けを決心しかねており、早急に調整はむつかしいが引き続き調整する。調整困難であれば住込就職先、精神薄弱者援護施設等について調整する。」とのことであつた。

2 同年三月一六日付け、追報告書で「本人が希望すれば、下関市の通勤寮○○園への入園が可能である。

なお、本人が同施設への帰住(入園)の意志の有無について承知したい」旨の内容であったので、少年と面接の結果帰住について同意したのでその旨回答した。

3 同年四月六日付け、追報告書では「引受人S・N子の引受け意志は好転せず受入れ不可」

4 同年七月二〇日付け、追報告書では「引受人にS・N子引受け意志はないが、少年退院時は出迎え、一時家庭へ連れ帰り、下関市の通勤寮○○園へ入園が可能である。」

5 同年一一月一〇日付け、追報告書では、受入れ可であつた下関市の○○園が別添の通り受入れ不可となつた。

当院としては、現在までの経緯から下関市の○○園へ帰住させるべく、手続中で満令退院を予定していたがS・N子、○○園ともに帰住出来ずまた他に適当な保護資源もなく勿して成人に達したからといつて退院させることは本少年の能力等から不適当と考える。

三 本少年は、昭和五七年一月一日で満二〇歳に達し入院後すでに一か年余を経過し、教育過程もほぼ終了する予定であるが、前述の通り、保護環境が劣悪であり、加えて資質的にも劣り(IQ五九以下・魯鈍級の精神薄弱)退院後社会生活を送る上には当分の間は、適当な保護者の監護が必要と思われる。

したがつて、満令後六か月間(保護資源の開拓、保護観察を合せて)の、収容継続を必要と考え申請するものである。

参考資料

五六・一一・一〇付けの追報告書を添付する。

〔参考二〕 環境調整追報告書(甲)〈省略〉

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